Coyote コヨーテ
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編集長日記新井敏記 連載「ブッキィッシュな国のロビンソンたち」
第一回

For Readers
あなたに そして私に、全て忘れる前に

 人はなぜ旅をするのか。
 アラスカに移り住んだ写真家であり作家である星野道夫が伝えてくれたのは、自然が内包する豊かな物語だった。遠くアラスカに思いを馳せる。人間はどこからきて、どこへ行くのか。そんな問い掛けを繰り返しながら、星野は自然に分け入っていった。
 星野道夫こそ、現実に流れる時間と自然という悠久の世界の掛け橋ともいうべき水先案内人だった。
 星の意味や風の匂い、森の静寂、潮の満ち引き、そして自然を取り巻いた不思議な物語の数々。ぼくたちは旅をしなければいけないくらいに、本当に多くの大切なことを忘れてしまっている。
 生きること、生きて知ることに情熱を抱くこと。実際、一人の人間が旅をして受ける啓示というものは、生涯にそう何度もあるわけではない。それでも人は遠方に見つめるべきものを必要とし、山々を走り、海に乗り出し、自然を勝手に作り替えていく。人は満天の星をあおぎ、はるかな涯にひとつの光を見つけたいと願うのだ。
 狩猟と採集で暮らしていた時代に戻れるはずはないと充分承知しているのに、過酷な自然の中に分け入った人を讚え、風景の意味を考え、森に同化したいとどこかで考えている。
 人はなぜ旅を欲するのか。
 日常に倦むことがなければ、眠ってしまった感情を呼び起こすための放浪などするものではない。ここではないどこか別な場所を探すため、どこかにいるもう一人の自分に出会うため、見知らぬ誰かと出会うためというだけでは、旅の成果は悲しすぎる。夢にもはや自由な意志はなく、移動は美しさを求めるよりも、旅人に余儀ない強さを求める。
 星野道夫にワタリカラスの神話を聞くことは二度とできない。彼はいないのだ。そこでぼくたちは彼の本や写真をめくる。彼が分け入った自然、その轍の跡にそっと足を踏み入れる。そこは不思議な世界の入り口。憧れの対象から一歩踏み出す中で、物語に満ちた世界をひとつひとつ訪ね歩き、そこに生きる人々、営まれる暮らしを見つめる。
 旅とは失ったものを改めて想像力でひも解く行為にほかならない。
 百年後、ぼくたちはいない。忘れ去られていくのは自然の方ではなく、ぼくたちなのだ。
 思えば、星野道夫は焚き火が好きだった。
 アラスカの原野でキャンプをしていて、熾火になった火を見つめ、木の燃えた柔らかな匂いに包まれて、今日一日のことを思い出す。森の近くであれば動物の鳴き声が聴こえ、海の近くであれば、氷河の割れる音が轟いていく。
 たった一人でいる勇気、
「風がすっぽりと包むとき、それは古い物語が吹いてきたと思えばいい」
 星野道夫はそうやって旅に出た。かつてぼくたちをとりまく世界は不思議な力に満ちあふれていた。動物と人は同じ言葉を話し、願えば人は動物になれたし、動物は人になれた。言葉は物語を創造し、命の物語の奥へと導いていった。
 夢見た旅をもう一度考えてみることから雑誌作りを始めたい。