Coyote コヨーテ
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編集長日記新井敏記 連載「ブッキィッシュな国のロビンソンたち」
第10回

タクシー・ドライバー

「品川まで」
 私は行き先をたずねるタクシーの運転手にこう言った。
 運転手は軽く頷くと、「ありがとうございます」と答えた。そして道順を確認するように、いくつか交差点の名前を挙げていく。
「天現寺、古川橋、泉岳寺でよろしいですか?」
 私は「お願いします」と答えた。
11月の東京は晴天が続かなかったが、この日は朝からよく晴れた秋空が広がっていた。リアウインドーを少し開けた。風が少し冷たく感じられた。
「どこか行かれるのですか、いいな」
 運転手は私の今日を勝手に想像すると少し微笑んだ。
「いい天気でよかったですね」
 時々おしゃべりな運転手に会う。いろいろ聞かれるのがめんどうで、そういう時は私の方から質問をする。
「運転手さんは、どこの出身ですか?」
「北海道です」
 なんだか声たかく、アクセントに特徴があって面白かった。
「北海道のどこですか?」
「余市です、小樽の近くの。わかります?」
「わかりますよ、冬とても寒いところですね、ウイスキーの蒸留所がある」
「そうです。ニッカです」
 彼は誇ったようにニッカを強調していく。私は少し身を乗り出して、ボードのネームプレイトを見た。運転手の名前は阿部進さんだった。
「北海道に帰ることはあるんですか?」
「毎年5月25日に帰るんです」
「それはなぜですか?」
「お袋の命日なんです」
「おいくつで亡くなったのですか?」
「63歳です。でももう23年前になる、早いもんです」
 車は古川橋を交差点を過ぎて魚藍坂下に向かっていた。
「運転手さんはおいくつですか?」
「今63歳です」
「お母さんに追いついた」
 そう言うと彼は笑った。
「いくつの時上京したんですか?」
「21歳、それこそ蒸留所に勤めていて、嫌で逃げ出してきた」
「1人で?」
「いや、3人」
「3人?」
「かみさんと一緒に働いていた友達。女房は同級生だったんです」
「いいですね」
 私が言った。
「何がですか?」
「いや、いいなと思って」
「そうかもしれないですね」
「もう1人は?」
「余市の同期の野球部だったんです」
「強かったですか、その野球部は?」
「強かったな」
「運転手さんはどこを守っていたんですか?」
「レフトで6番です」
「中距離ヒッターだ」
 彼は頷くと話を続けた。
「でも肩を壊して、もう上から投げられなくて下手投げ。それだと外野は務まらない」
「肩がヌケたんだ」
「それで職場も嫌になって。家出同然ですよ」
 21歳で家出というのだろうか、その言い方が印象に残った。
「それで出てきて何の仕事についたんですか?」
「いや、それからタクシーですよ。40年間になります」
「すごい、友達もタクシー運転手ですか?」
「そうです。3人ともタクシー会社に就職した。2人ともまだ働いてますよ。無事故です」
「じゃ、個人の免許取れるじゃないですか?」
「そうですね、免許は持っているんです。でも女房と相談して、やめました。65歳まで働いて、その後は北海道に戻ろうと思っているんです。恩給で暮らすんです。お墓も余市にあるし、実家もあって何か畑をやれば2人充分に生活できる」
「後2年ですね」
「昭和39年にタクシー運転手になりました」
「東京オリンピックの時だ」
「そうです。まだ高速が羽田から代々木までしかなくて、横羽線はできていなかった」彼が続けた。
「オリンピックで東京がずいぶん変わったな」
「一番最初に乗務した車、覚えていますか?」
「もちろん」彼は答えた。
「コロナです、ダッシュボードの下にクーラーがついていて、あれでみんな膝をやられた」運転手は小さく頷くと続けた。「でもあの頃はよかった。パンが10円の時代で、会社に1万5千円入れて自分では1万円持って帰れた」
「一番景気がよかったのはバブルの時ですか?」
「いや、その前だね。タクシーの台数が増えたからね」
 車は第二京浜に入り、貨物車両に平行して走る。
「東京で暮らして、いい思い出はありますか?」
 彼は少しためらいがちに答えた。
「いや、あまりピンとこないね、なんだろうな、いいことって、思いつかない。嫌なこともなかったけれど」
「一番悲しい思い出は?」
「やっぱり、お袋が死んだことだな」
 彼はそう言うと寂しく笑った。車は品川駅の高輪口に入っていく。
「1620円になります。お気をつけていってらっしゃい」
 私はその言葉に後押しされたように車を降りた。
「後2年間頑張ってください」
 阿部さんはゆっくりとロータリーを抜けて五反田方面に車を向けた。
 私は「ありがとう」と小声で言った。彼とまた会うことができるだろうか、そう思うともっと訊ねたいことがあると思った。
 そして「40年間お疲れさまです」と囁き、私は深々と頭を下げた。すると車の後部のファザードランプが2度ほど光った。
 阿部さんの「ありがとう」のサインだった。