新井敏記 連載「ブッキィッシュな国のロビンソンたち」 |
第二回
漂流 藤原新也
2004年7月、代官山の藤原新也の仕事場に呼ばれた。 「南米に行くぞ」 藤原はボソッと言った。それは軽い口調で、まるで車を走らせて伊豆へ2泊行く、ぐらいの調子だった。 「ほんと?」 「でもな、その前にポルトガルに行く」 そう言うと彼はうなずいた。ぼくはその言葉から南米の旅は大きなもので、東洋街道、西洋街道と呼応するものになるのかもしれないと思った。 「道行きのルートは」 と、ぼくが尋ねるとまだわからないと藤原は言う。 「今年一年間は休むと言ったのに、どうしてですか?」 彼はその質問に答えずに、おもむろにテーブルのわきにあった「コヨーテ」の創刊準備号を手にとった。森山大道と大竹伸朗のコラボレーションの一冊。 「無茶苦茶でいいな」 彼が笑った。そしてパラパラと頁をめくると、旅の可能性を言った。 「日本という国を評論することも解釈することも、もういい」 表現者としての行為を彼は欲しているのかもしれない、人は人といかに交わり、叛し、和解し、愛し合うのか、藤原の『なにも願わない手を合わせる』のテーマを思った。彼が繰り返し説いたのは祈りと死だった。そこに90年代の日本の閉塞状況に拮抗するものとして、彼らしい個人主義が貫かれている。 再び旅をする者、いや三度旅をする者として藤原新也は世界へ出て何を見ようとするのか。 「均一化されつつあるヨーロッパの涯に立って、そこから南米を見つめる。旅の一歩だな」 「テーマは望郷ですか」 「それもいいな」 彼は笑った。 「感傷する歳でもあるまい」 ポルトガルの旅の機材はデジカメを選ぶという。 「ギンエンとデジタル、その交わり方がいい。そういう旅の雑誌を作れ」 「ポルトガル海岸線を南下するっていいじゃないですか」 ぼくが言った。 写真とスケッチ、そして文章で記録していくというスタイルで進めたいと藤原が言う。「ポルトガルからブラジルへ、サウジ・サウダージの旅だけでなく、ブエノスアイレスではタンゴを踊る。チリで氷河を見る」 音楽のようなものいいにぼくが笑う。 「俺のリズム感を忘れたか」 「阿波踊りなら見たことがあります」 彼の真顔がおかしかった。 ユーラシア大陸最西端ロカ岬。世界最古の大学の街コインブラ、古い都ポルト、砂の廻廊アヴェイロ……。藤原の旅に思いを馳せながら、ぼくはアントニオ・タブッキの『レクイエム』、フェルナンド・ペソアの詩集、そしてヴィム・ヴェンダース『リスボン物語』のビデオをすぐに藤原宅に送ろうと思った。 |
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