新井敏記 連載「ブッキィッシュな国のロビンソンたち」 |
第五回
新しいハウ゛ァイイ紀行 山口智子
風景の話をしよう。
かつて遠くから来た旅人の話に、僕たちは夢中になって耳を傾けた。旅をする話し手は、行く先々で彼や彼女が見た風景や、出会った人々の物語を語り続けた。その土地の謂われや、教えを謡い、自然の法則や知恵をも巧みに配した冒険譚がくりかえされていった。しかし、いつしかぼくたちは話し手を失い、物語を聞く力を失っていった。
「伝えなければ、滅んでしまう。幾世代も堆積し、光り輝く財宝も、語らなければ消えてゆく。全てが移ろい、人の言葉に耳を傾けることも、喧噪の日々に押し流されてゆく」
山口智子の先頃上梓した本『反省文 ハワイ』(ロッキン・オン社)はそのタイトルの軽やかさとは裏腹に、切迫感が漂うものだった。本当のハワイに出会いたい、そう願い続けた彼女の思いは、かつての旅人の話のような不思議な力にみちあふれている。
彼女はこう書く。
「私が、これから記そうとしているのは、ハワイへの、心からの反省文だ。私がずっと長いこと犯してきた、たくさんの誤解、たくさんの失礼。ハワイよ。ほんとうにごめんなさい。そして、ハワイよ。この書を綴る言葉は、あなたへの尊敬と感動と憧憬と、もしかしたら愛のようなもの。」
誤解とはなんだったのか、失礼とはなんだったのか、山口はひとつひとつの罪を祈るような思いで旅を続けていく。それをセンチメンタルと一笑するのは簡単かもしれない。でもハワイ島、マウイ島、カウアイ島と何回も丹念に歩くことによって、彼女が見た風景、彼女が出会った人々の言葉は圧倒的にそこに息づいているのだ。
旅人は次に伝える案内人として、悠久の時間と現実の時間を繋ぐ媒介者として、ハワイの物語を拾遺していく。
例えばフランシスはこう言う。
「いつも私達は北半球を中心にものを見ているのが、まず、地球の中心、赤道に視点を移してみよう。すると赤道の南北に二本の線が見えてくるだろう。それが『トロピック(tropic)』。南北の『回帰線』だ。
回帰線に挟まれた場所に、いつも太陽が在る。地球は太陽の周りを回っているから、その軌道が太陽の道、つまり黄道だ。そのラインは、南北回帰線の中を移動し、他へはみ出ることは絶対にない。距離にして2800マイル離れた回帰線の中に、いつも太陽が存在していることになる。だから回帰線の中に、太陽のほとんどのエネルギーが降り注いでいると言える。回帰線内は、まさに太陽そのものだ」
ハワイに住むということ、女神ペレは太陽の上にハワイに創ったという神話に宿るように根拠を指し示している。これは何もハワイに限ったことではない、アラスカのクリンギット・インディアンの創世記の神話には、光りをもたらす神の使いとしてワタリガラスが登場し、ナバホ・インディアンのホピ族はコヨーテがとって代わる。人と出会うということ、つまりそれは自分とは違うということを再認識することかもしれなない。『反省文、ハワイ』には人はなぜ旅をするのかという問いに、彼女自身が明快に答えてくれている気がする。旅をしなければ見えないものがある。と同時に根をおろさなければ見えないものがある。何代にもわたって語り継がれる物語を聞く。さらに深く、物語の種子を運ぶ一片の軽さに、彼女自身が疎ましく思っているのかもしれない。大切な誰かに会えるような本である。池澤夏樹氏の「ハワイイ紀行」(新潮社)を平行して読むことを勧める。フランシスの回帰説の如く、南北の回帰線のように二冊の書物は、ハワイの失われた時が光と影のように二律して追慕されていく。 |
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