ジャンフランコ・ロージ監督 『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』

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——撮影しているときは、クルーは何人ですか?

GR クルーは私ひとりきりだ。私は自分で撮影し、自分で音を録る。ひとりですべてをやる。そこには私しかいないから、被写体である彼らとの親密な関係性が保たれるんだ。私と彼、彼女は、本当に信頼し合える、親密な関係を築く。そして、そのときに初めて、私はカメラを取り出す。その瞬間にすべてが始まるんだ。

信頼の上に撮り始めると、そこに映るのは特別なモーメントとなり得る。
だから私の映画には、決定的なAbsence(不在)がある。それは、「Absence=撮影を始めるまでの長い、長い時間」であり、「Absence=撮影が終わった後の人生の時間」だ。私の映画には本来ならそのAbsenceなる時間が語ってくれるはずの説明が一切ないんだ。彼らの出自や背景、どうしてそこにいるのか、そういった説明は一切しない。すなわち、私だけがそういったことを知っている、なぜなら私は撮影を開始するまでに長い、長い時間を彼、彼女と過ごして、様々なストーリーをすべて聞いているからだ。私にはその蓄積があるが、それをわざわざ説明的に映画の中で描いたり使うことはしない。それは不要なのだ。

私は、そういった長い、長い時間を経た後に、カメラをついに取り出し、撮影を始めるんだ。
それ以前に聞いた話は私の中にすべてあるから、映画にはもう不要だ。それがなくても、私がきちんと理解し、信頼関係がそこにあれば、細かな説明などなくてもその映画は魔法の映画になり得ると私は信じている。それが、私の考えるドキュメンタリーだ。