コヨーテの音楽 Soundtrack for Coyote 004【My Room In The Trees】

コヨーテの音楽 Soundtrack for Coyote 004【My Room In The Trees】
松浦紀子
004【My Room In The Trees】


日常の移動の時間に、音楽を聴くことは、ほとんどない。仕事の行き帰りの電車の中やバスの中で、私はぼーっと外の景色を眺めている。とりとめもない考えごとをしたり、しなかったり。
なにもしない、そんな移動の時間が、私は好きだ。

その日は、東京から少し離れた場所へと、電車で向かっていた。
海沿いのその町までは、けっこうな長旅だけど、いつものように、音楽を聴くでもなく、本を読むでもなく、ただぼーっと、窓からの景色を眺めていた。
途中、かつては観光客で賑わった温泉街を通る。今はなんだか、少しさびれてしまっているけれど、それでも、何組かの家族連れがその駅で降りる。子供たちのはしゃぎ声が響く。夏休みらしい光景。

電車は海沿いを走る。ヤシの木が風にそよいでいる。なんだか、つくりものの南国のセットみたいだ。でも、郷愁を感じる。こういう雰囲気が、私は好きなのだ。いなたい、ちょっとさびれた雰囲気。
東京から離れて、こういう地方の町で暮らしてみたら、どんな感じだろう。
これまでの自分をリセットして、新しい生活を始める。仕事はどうしようか。地元の小さなスーパーで、パートとかしたりして。もしくは、旅館で働くとか。経験した事のない仕事は、それはそれできっと、面白いだろう。
近所にスタバがなくても、タワレコや青山ブックセンターにすぐに行けなくても、別にきっと、そんなには困らない。今はネットでなんでも買えるのだし。

各駅停車の電車は、無人の小さな駅に停まる。家々の向こうには、海が見える。いつも通り過ぎるだけの小さな駅。観光地でもなんでもない、小さな町。
ふと、ここで降りてしまいたい衝動にかられる。
でも、私はもちろん、降りたりしない。

頭の中に、小さく、あの曲が流れる。
「All The Weather」。
The Innocence Missionのこの曲は、いつも私をどこか遠くへ、運んでくれる。なにかの拍子に、ふとこの曲が、頭の片隅で小さく流れてくることがある。考えてみると、それはいつも、「知らないどこかへ行きたい」と思っているときなのかもしれない。
私は、どこか知らない場所へ行きたいのだろうか。目的のない旅をしたいのだろうか。

そんなことをぼーっと考えているうちに、電車は目的地に到着した。
普段よりすこしだけ賑やかな駅前には、旅館や海沿いのホテルからの送迎バスが何台も止まっている。
私は、タクシーに乗り、目的の場所へと向かった。


旅のサウンドトラック004
amazon 『My Room In The Trees』The Innocence Mission


松浦紀子 Matsuura Kiko
ラジオ番組ディレクター・選曲家。良い音楽と、美味しいお酒と、ひとんちの猫をこよなく愛する日々。世田谷在住、ときどき鎌倉。週末は、J-WAVE「atelier nova」やってます。