チップ・キッドと歩く神保町
Jimbocho Quest with Chip Kidd

たして約束の時間に、キッドは満面の笑みで現れた。仕立てのいい紺のブレザーにチノパン、ハンチングとストール。神保町を初めて訪れた二〇〇一年のことを話し始める。

「ともかく神保町の交差点でタクシーを下りて、そこから右も左も分からず歩き始めたんだよ。驚いた! それぞれに専門のある小さな本屋がひしめき合っていて……。次の店、次の店って大冒険だった」

フェスティバル二日目の西麻布でのセッションでも話題に上った通り、この時に手に入れた一九四〇〜五〇年代の日本のマッチラベルは、後に装幀にも活かされた。当時どこの店に行ったのかほとんど記憶にないというので、まずは古書センターを二階に上り〈中野書店漫画部〉へ。一九七五年創業、手塚治虫や水木しげる、藤子不二雄ら人気作家の絶版マンガを揃える店だ。店内の本棚にぎっしりと並ぶ昭和初期からの漫画や、ガラスケースの中のセル画やフィギュアを長い時間をかけてひと通り眺めると、「桑田二郎のモノはある?」とキッド。「8マン」の作画者にして、アメリカで爆発的な人気だった『バットマン』の日本版を六六〜六七年にかけて手がけた人物。キッドはバラバラになっていたその桑田版『バットマン』の原稿を集めて『BAT MANGA!』を出版したほどの心酔者だ。当時の手描きの原稿は今も探しているという。

あいにく原画には出会えなかったものの、8マンを掲載した六〇年代の『少年マガジン』や、付録マンガ(驚くことにキッドは表紙絵だけで桑田マンガだと言い当てた)を購入。「そういう物をお探しなら……」との中野書店の店主の紹介で〈遊星堂〉を訪ねる。小さなオフィスビルの一室。そうと知らなければ外観からはここに店があるなんて想像できないだろう。ドアの先で待っていた絶版マンガや付録類に、キッドの目が輝く。通路にしゃがみ込み、ガラスケースの中を食い入るように見つめる……。ここでも原画は見つからなかったが、またいくつかの買い物をして店を出て、昭和の雑貨も揃う〈キントト文庫〉(キッドが釘付けになったのは昭和の松竹歌劇団のスター、タアキイこと水の江瀧子のボックス入りファン雑誌)、そして豆本を専門に扱う〈呂古書房〉を回ったところで時間切れとなった。

「神保町を見て回るのには何日あっても足りない……」とキッド。翌日時間を見つけてもう一度来たいと言い募りながら、帰路につく。

日本の、主に昭和期の紙モノやマンガの、何がそこまで、彼をとらえるのだろう?

「まったくどうしてだろうね? 色使い、余白の使い方……。いいところをあげるとキリがないけれど、独特の勢いを感じるんだ」

大きな体を小さな通路に押し込めて、ガラスケースの向こうにある物を見つめるキッドは、まったく少年そのものだった。興味のあるものにはぐいぐいと迫っていく、それはこの人の、欠かすことのできない一面なのだろう。そしてその分、自分の哲学と反するものにはきっぱりとノーを言うことも。手にとれる、形ある“本”や紙モノの力を彼は信じている。

明日また行くならと、今日の取材先を地図に記して渡したわたしたちを、キッドは固いハグで送り出してくれた。社交家だけどシャイで頑固で繊細でオタクで、それでいて底抜けにスイート。まったくもって魅力的な人物だ。

キッドの装丁による本を次に見かけたら、神保町で見た彼の表情を思い出すことだろう。キッドはその本の何に興味を持ち、どんな深みへと潜り込み、どのようにデザインに反映していったのか……。そんな好奇心が、読書をもっと楽しくしてくれる。


チップ・キッド

1964年ペンシルヴァニア州生まれ/アルフレッド・A・クノップフ社のブックデザイナー、小説家。村上春樹の米国版をはじめ多くの日本人作家のブックデザインを手がける。アメコミ好きでも知られ、バットマンのコレクターでもある。


阿久根佐和子

鹿児島県生まれ/ライター。雑誌への執筆のほか英語文学の翻訳や書籍構成も手がける。浅草にオルタナティブ・スペースGINGRICHをオープン。