EDITOR INTERVIEW with
Deborah Treisman『The New Yorker』

『ニューヨーカー』がアメリカ文学を支え続ける理由。
デボラ・トリースマン(ニューヨーカー誌)

いつか「ニューヨーカー」に短篇が掲載されたら──。
英語圏で小説を書く人は誰もが一度はそう思ったことがあるだろう。
出版界で圧倒的な信頼と影響力を持ち続ける雑誌の
フィクション・エディターとは。
text by Akune Sawako photographs by Tada

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毎週届く作品は
200以上

「ニューヨーカー」がなかったら、アメリカ文学はどうなっていたのだろう? 荒唐無稽そのものだけど、そんな妄想をおさえることができない。それほどに、一九二五年二月二十一日の創刊以来、九十年近い歴史をもつこの週刊誌が、アメリカ文学に果たしてきた役割は大きいのだ。レイチェル・カーソン『沈黙の春』やトルーマン・カポーティ『冷血』も、そもそもは同誌での連載だったし、J・D・サリンジャーにアップダイクやフィツジェラルドら往年の名手からウェルズ・タワーにジュノ・ディアスら現役の若手まで、「ニューヨーカー」に作品が掲載され、その名を高めた作家は、文字通り枚挙にいとまがない。
時事と巧みに連関するノンフィクション記事や批評に交じって、毎号フィクションや詩を掲載する 「ニューヨーカー」。アメリカの文学界にもっとも大きな影響力を持つ雑誌といって差し支えないだろう。
現在、同誌で文学作品の選出にあたるのが、フィクション・エディターを務めるデボラ・トリースマンだ。季刊の文芸誌「GRAND STREET」(現在は廃刊)などの編集者を経て、九七年に「ニューヨーカー」の一員となり、〇二年に現在のポストに就いた。編集チームは、彼女のほかに二人のエディターとアシスタントを含めた五人。毎週およそ二百ほど届く作品にまずは手分けして目を通し、これはと思うものを持ち寄って読み合い、検討し、掲載作品を決定する。
「判断の基準は、光る何かがあるかの一点につきます」とデボラ。
「有名な作家である必要もなければ、無名の作家と決めているわけでもない。エージェントから来る作品もあるけれど、エントリーは完全にオープンなんです」

イラクに派遣された異色の経歴を持つ
新人作家の登場

たとえば今年の三月十一日号に短篇「Kattekoppen」が掲載されるや大きな反響を呼んだウィル・マッキンは、これが雑誌デビューとなる新人作家。海軍に在籍し、アフガニスタンやイラクに派遣された異色の経歴の持ち主で、「Kattekoppen」も軍での経験を基にしたフィクションだ。
「戦争や軍での物語なのに変な言い方だけど、笑えるんです。もちろん、耳を疑うようなひどい部分もありますが……。語るべきことと、それを表現する手だてを持った彼のような才能を見つけ出すのはやはりこの上ない喜びですね。そうして直接作家とやりとりをしながらいちばんいい形を導きだしていくことも」
驚くことに、デボラたちのもとに届いた作品がそのまま掲載されるケースはさほど多くない。掲載の前段階で、編集の手がかなりしっかりと入るのだという。
「完璧に近い作品もあって、そういう場合にはファクトチェックをして、いくらかの修正を加えるだけ。その一方で、可能性は感じるものの、掲載できるラインには達していない作品もあるんです。そういう時は、人物造形や構成を変えたり、時には長さを半分にしたり……と、さまざまな提案をして作家に書き直しを求めます」
書き直しをいやがる作家もいなくはないが「その時は掲載を見送るだけ」とデボラ。その分期待に応えようとする作家にはとことんまで付き合う。多い時には、書き直しは四、五回に及ぶそう。書くことは孤独な作業だ。厳しくとも適切な批評をくわえ、励まし、一緒に歩んでくれるこういう編集者がいるからこそ、作家たちは高みに達し、「ニューヨーカー」のクォリティも保たれてきた。
本好きな少女だった子供時代、自身も物語を書いたことはある。しかし書く才能はないと早くに見切ってからは、文章に携わる職に就きたいと願っていたという彼女にとって、デビュー前の新人から、キャリアも年齢もはるか上の大作家まで、フラットに向き合える現在のポジションは、まさに天職だ。
「まだ編集部に入って日が浅い頃、ソール・ベローと仕事をしたんです。修正箇所をまとめて送った後、怯えながら電話したのを覚えています(笑)。ソール・ベローからテア・オブレヒトまで付き合える職場なんてほかに見つかりそうもないですよね」