秋田、受け継がれる味覚

かつて雪国・秋田は、冬の食糧確保が困難だった。
過酷な環境がもたらしたのは、おいしさへの貪欲さと、確かな味覚。
そして、世界で一番、贅沢な米麹味噌でした。
文/町田香織(Norit Japon)
写真/加賀谷仁志
text by Machida Kaori
photographs by Kagaya Hitoshi

かつて雪国・秋田は、冬の食糧確保が困難だった。
過酷な環境がもたらしたのは、おいしさへの貪欲さと、確かな味覚。
そして、世界で一番、贅沢な米麹味噌でした。
文/町田香織(Norit Japon)
写真/加賀谷仁志
text by Machida Kaori
photographs by Kagaya Hitoshi


豊作をもたらす宝風
雪国に欠かせない保存食

もっとも雪深い時期である二月半ばだというのに、今年は珍しく路面のアスファルトが見えていた。もちろん路肩には、堅く泥まじりの雪の壁ができているけれど。いつもに比べたら、今年は少しだけ春の到来が早いのかもしれない。寒くて暮らしにくいだけの雪なんて、早く消えてしまえば良いのにと思いながら角館へ向かう。
角館は「みちのくの小京都」と称されるかつての城下町。武家屋敷が立ち並び、黒い木塀が江戸情緒を今に伝える観光名所である。この町に、一八五三年(嘉永六年)から味噌と醤油の醸造を行う安藤醸造がある。角館の外町、いわゆる商人町に建つ赤いレンガ造りの蔵座敷は、明治時代中期に建てられたもの。安藤醸造を訪れたのは、秋田における味噌や醤油の役割について知りたかったからだ。
秋田は古くから、米どころとして知られている。東北の太平洋側では、海から吹く冷たい風が冷害を引き起こす。「やませ」と呼ばるその風は奥羽山脈を越えると乾燥し、高温になる。結果として日本海に面する秋田には豊作をもたらす風となり、秋田の人々はそれを「宝風」と呼んだ。
宝風のおかげで豊富に穫れた米は、食べるだけでは消費しきれなかった。人々はいつしか余った米を蒸して、麹菌を繁殖させて麹に変えるようになった。その麹を使い、雪国の暮らしでは欠かすことができない「保存食」を作っていたのである。
当時、雪深い冬季の食糧不足は深刻な問題だった。今のように道路も張り巡らされておらず、もちろん物流のシステムも確立されていなかった。雪が降り積もれば、作物は一切穫れない。家族の食糧をいかにして確保すべきか。一家の台所を預かる主婦にとって、それは本当に頭の痛い問題だったであろう。
先人たちは知恵を持ち寄り、多様な保存食を作った。たとえば「ハタハタ寿し」などに代表される飯鮓は、魚に野菜や米、麹を加えて乳酸発酵させたものだ。麹と米、塩で作る「三五八」は、魚や肉、野菜の漬け床。燻製にした大根を糠や麹、塩で漬けた「いぶりがっこ」などに代表される漬物にも使われた。そして日本酒や味噌・醤油も然り。秋田の伝統的な発酵食品の多くは米麹が用いられ、甘みや旨味を多く含んだ“秋田らしい”味を生み出す役割を担っている。