ノースショアに住む
自然観察者たち その2

Mark Cunningham
マーク・カニングハム
【魔法のような化石のフィンの森】

マーク・カニングハムは190センチはある長身で、しなやかなバネのように筋肉質で68歳を越えてもなお現役のウォーターマンの体型を維持している。笑うと、ディック・ヴァン・ダイクに似た優しい風貌が印象的だ。
彼のウォーターマンとしてのキャリアは幼い頃からはじまる。生まれてまもなくマサチューセッツからハワイに移り住んだマークは、子どもの頃からビーチクラブに所属して、ベテランのライフガードから直接泳ぎの指導を受けていた。サーフィン・デビューは9歳の時、お小遣いで発泡スチロール製のフォームボードのキットをドラッグストアで買って遊んだことがきっかけだった。一生懸命やっても立つことは叶わなかったが、粗末な道具でも波で遊ぶのは楽しかった。
「その頃はまだリーシュがなく、ワイプアウトする度に岸までボードを取りに泳いでいった。結局ボードの上に立っているよりも、流されたボードを取りにいこうとボディサーフィンをしている時間の方が絶対的に長かった気がするね。実際、フォームボードに立とうとする方が間違っていたね」
マークは人懐っこい笑みを浮かべて言った。
「誰かに足ひれをつけてみろと言われて、その通りにすると波の上をうまく滑り落ちることができた。それがボディボードのはじまりだった」
パイプラインでは後にサーフィンの歴史を作るジェリー・ロペス、ローリー・ラッセルなど蒼々たるサーファーが波を分け合っていた。
「私は彼らと海で知り合った。ただ見ているだけで壮観だった」マークが述懐した。
プナウ高校の時に水球選手としても活躍、彼は推薦でUCB(カリフォルニア大学バークレー校)に進学を果たし、大学でもトップメンバーだった。
マークはプールこそ水泳のABCを学ぶ、海に入るための学校だと言う。足の使い方、身体の動き、息継ぎのタイミングなど技術的なことを集中して学ぶことができる。実際に大学で彼はライフセイビングコースを専攻し、水泳の基礎を学び直し、サンタバーバラでライフガードをした。就職に迷うことはなく、彼にとってライフガードが天職だった。最初の配属はウエストのポガイ湾の小さなビーチで、61年型のばかでかいシボレーのピックアップトラックで、かさむガソリン代を工面して通っていた。
人の命を救うライフガードという職業は、アメリカでは政府が公認している地方公務員となる。ライフガードになるために、そしてなり続けるためには年に数回アラモアナビーチパークでテストがある。海岸を1キロ走り、同じ距離を泳ぐ。制限時間は25分、休む間もなく400メートルのレスキューパドル、次に100メートルの間隔で置かれている11フィートのボード4枚を1枚ずつ岸に運ぶ。4往復の制限時間は4分、最後にラン・スイム・ラン。100メートル走り、100メートル泳ぎ、100メートルまた走る。これは3分以内にこなさなければならない。