ノースショアに住む
自然観察者たち その3
Kohl Christensen
コール・クリステンセン
【ノースの痩せた赤土を耕して】

農園の案内が終わると、コールはこの土地の一番奥にある小さな古い掘っ建て小屋に招き入れてくれた。家の紋章代わりにバッファローの頭蓋骨がテラス上部に飾られており、客人を迎える。壁はベニヤの圧縮材でできたトタン屋根だった。裏庭にはフルオープンのバスタブがあり、トランクルームのトラックの荷台がそのまま倉庫として使われていた。キャップのコレクションは弟の趣味か、まるで戦利品のように壁に飾られていた。インテリアは全て廃材から作られており、いたるところに兄弟の創意工夫がされていて、見ていて飽きない作りだった。左右に分かれた部屋が兄弟の寝室だったが、プライバシーなんてなかった。リビングは物置と化して、奥の部屋の壁一面の本棚にはびっしりと本が詰め込まれていた。読書家のコールの一面だった。
本棚を覗いていると、陽が差し込むテラスでコールはお茶の用意をしてくれた。ハーブティを飲みながらの午後の時間だった。
「家族のことを話してくれる?」テラスの古いイスにゆっくりと腰掛けると、僕が訊いた。コールは軽く頷いて話を続けた。
「僕の祖父はノルウェーからシアトルに移り住んだ移民だった。祖父は漁師で、だからシアトルを選んだんだと思う。父はシアトルで生まれた。父は話せなかったけれど、親戚皆がノルウェー語を話していたよ」
「なぜ家族でハワイに移り住んだのですか?」
「父の仕事が建設工事関連で、1950年代ハワイは建設ブームだったんだ。それでハワイに仕事があって引っ越してきたと昔父に聞いたことがある。」
「この家はもしかしたら君が自分で作っていったのかな?」
「僕と弟で全部建てていった。僕たちは親父が家を建てるのを見ながら育ったからね」
「お母さんはどんな人だったの?」
「母はアイルランド人でカソリックだった。父と母はシアトルで知り合ったんだ。僕の両親はヒッピーだった。シアトルに住んでいた頃は自由気侭なヒッピーの生活で、両親はサンワナ島に家を持っていて、夏になると畑を耕し、魚釣りをして音楽を聴いて生活していた。でも結局両親は離婚してしまって、そんな自由な生活にさよならを告げた。僕自身、幼いころはその生活に憧れを持っていたんだ。今、母はカイルアに住んで、父はこの近くに住んでいる。寂しいよね。家族バラバラの生活は」
「今のオーガニックな生活をするようになったのはご両親の影響ですか?」
「自分自身の興味からかな……、初め僕は漁師をしていたんだ。この土地を持ってから、もっと自分自身で理想を描いて生きていこうと思った。イヴォンの言うサスティナビリティの生活を実践したいと思ったんだ」
そう言うとコールは時間を訊いてきた。14時を少し回ったところ、昼食の時間だった。
「これから昼食を食べにハレイワに行こう。妹が待っている。午後はカイトサーフィンを見せるね。僕の好きなカウコナハウというハワイアンの聖地がある、そこは絶好の風が吹くんだ。もしその後まだ訊きたいことがあったら、明日、君がよければ時間を取るよ」
コールはそう言うとにっこりと笑って「お腹空いたね」と呟いた。
「チップスとか食べるかい? 音楽は聴く? どこに泊まってるの? 君は特別なゲストだからタダにするよ」
矢継ぎ早のコールの言葉になんだかインタビューなんてどうでもよくなった。今を楽しむ、コールの生き方がふと羨ましくなった。この後、僕たちはコールの妹が働く、ハレイワのマーケットプレイスのモールの一番奥のバンザイ寿司に車を走らせた。

『Coyote』No.52「ノースショアに暮らす」より