絵:黒田征太郎

1939年生まれ。69年長友啓典と共同でK2を設立。イラストレーターとしてポスターや挿し絵で数々の賞を受賞するとともに、壁画制作、ライブペインティングなど幅広いアーティスト活動を展開。www.k-3.co.jp

文:新井敏記

1954年生まれ。85年「スイッチ」創刊、04年「コヨーテ」創刊。著書『人、旅に出る』(講談社)、『モンタナ急行の乗客』(新潮社)。近著として、『SWITCH STORIES 彼らがいた場所』(新潮文庫)、『鏡の荒野』『夏の水先案内人』(スイッチ・パブリッシング)

人を待つ

Essay vol.02

人を待つ

 港で人を待つ。誰かと会うためにただ待つことを願う。4月17日から10日間、神戸にいます。
 Q2の会場にアラスカ、極北の大地の写真を80点近く展示します。コヨーテが旅をする。憧れをかきたてる極北の大地、そこに詩情あふれる人々の暮らしがある。

 南東アラスカのバラノフ島の沖合、小さな島の入り江に一軒のフロートハウスがあります。
 フロートハウスは海に浮かぶ家のこと。波の影響が少ない入り江の奥、岸の岩場に四本の太いワイヤーで固定し、レッドシダーの丸太で足組みをして、ドラム缶を何本も下支えにして浮力を保ち、その上に板を這わせた手作りの小屋。
 主の名はジョン・ティマー。南東アラスカの水先案内人です。北の海は豊かな漁場が広がって、ジョンは釣った魚を市場に売って生活している。1メートル90センチ、レスラーのようにがっしりとした身体、愛嬌のある大きな赤い鼻にたくわえたあご髭、瞳は透明なブルー、笑うととても優しい表情になる。トレ−ドマークでもある船員帽は潮風に鍛えられて貫禄があり、町のみんなは彼を"ビッグ・ジョン"と呼ぶのです。
 ジョンは写真家星野道夫の南東アラスカの水先案内人として、ともにフィヨルドの海をいくつも渡っていった。南東アラスカの海を知り尽くした男は、幾度となく星野道夫を案内し、ザトウクジラのバブルネットなどの傑作写真の成功に導いていった。
 ジョンの生活を丹念に追うことによって原野で生きる喜びを問い、シトカでB&Bを営むケイラス夫婦と交流を持ちながら生活の中で静かな想いを紡ぐ。
 誰にでも忘れられない出来事がある。それは風景とともに心に残る。アラスカに誘ってくれたのは星野道夫でした。彼は悠久の自然の美しさを写真と文章で私たちに残してくれています。人々にとっての大切な自然。彼にとって大切なエピソードがあります。
 ある夏の日、南東アラスカで一頭のザトウクジラを追いかけていた時のこと。

──東京で忙しい編集者生活を送る彼は、何とか仕事のやりくりをしてアラスカの僕の旅に参加することになった。それは南東アラスカの海でクジラを追う旅だった。わずか一週間の休暇であったが、幸運にも彼はクジラと出合うことができた。ある日の夕暮れ、ボートの近くに現れ一頭のザトウクジラが突然空中に舞い上がったのだった。クジラの行動が何を意味するのかはわからないが、それは言葉を失う、圧倒的な一瞬だった。
 その時、彼はこう言った。「仕事で忙しかったけれど、本当にアラスカに来てよかった。なぜって? 東京で忙しい日々を送っているその時、アラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。そのことを知れただけでよかったんだ」
 日々の暮らしに追われている時、もうひとつの別の時間が流れている。それを悠久の自然と言っても良いだろう。そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ──

 人間にとっては、ふたつの大切な自然がある。ひとつは、日々の暮らしの中で関わる身近な自然である。それは道ばたの草花であったり、近くの川の流れであったりする。そしてもうひとつは、日々の暮らしと関わらない遥か遠い自然である。そこに在ると思えるだけで心が豊かになる自然である。それは僕たちに想像力という豊かさを与えてくれるからだ。
 星野道夫の死をきっかけにアラスカを渡った僕は、星野道夫の親友たちに会うことで、旅の意味を問い直していった。


写真展「コヨーテ 人を待つ」神戸会場
C.A.P CLUB.Q2
神戸市中央区新港町4−3上屋Q2(神戸ポートターミナル下車5分)
tel+fax078-959-7707

retweet