再訪 野坂昭如 第5回「寡黙な人」

Essay vol.09

再訪 野坂昭如 第5回「寡黙な人」


 応接間に戻り、寂聴がうれしそうに言葉を続けた。表情を変えず野坂は寂聴と正対するように位置する。寡黙な野坂を気遣ってか寂聴は次々に言葉を繋げていった。
「何十年ぶりでしょうか。作家同士であるけれど、そんなにベタっとした関係ではなかった。でも私はずっと野坂さんのことを尊敬していた。かっこよくて、真っ白い服を着て歌ったり、踊ったりとっても華やかだった」

 瀬戸内晴美から得度して法名「寂聴」と名付けた、当時中尊寺の住職今東光の主宰する「野良犬会」に野坂も参加していたことがある。
「今日を野坂は楽しみにしていました。寂聴さんはいつ来られるかと玄関で待っていたくらいです」夫人がお茶を差し出しながら遠来に対して礼を言った。

「うれしいわ。私の方こそ会ってくださらないかと思っていました。私のことを嫌いかもしれないと思っていました。それが喜んで待ってくださるなんてよかった。私ももう90歳、いつ死ぬかわからないです。だから会いたい人に会っておきたい。2週間に1度の毎日新聞の連載はいつも拝見しています。あれは奥様が聞き書きされておられる。宝塚にいらした奥様がこんなに内助の功をする妻になるとは思わなかった。すばらしい。今奥様が野坂さんに憑依して、野坂さんの中にいる」

 寂聴はそう夫人に声をかけ、次に野坂に向かって大きな声で「あたったね」と顔を覗くように褒めそやす。
「私は損をしました」と夫人が茶目っ気たっぷりに天井に向かって答える。
「逃げもしないで。御縁ですね。前世から決まっているんです」
 寂聴のその言葉に、夫人は野坂に「どうですか?」と訊ねる。
「決まっている...」野坂がポツリと答えた。

 荒木がシャッターを切るたびに、不思議なことに野坂の表情は凛として孤高の気高さを見せていった。もはや病人の蒼白ではなく、魔法にかかったように生気が漲っていく。寂聴は荒木との出会いを懐かしく思い出す。
「荒木さんと私の出会いも面白いの、荒木さんが寂庵にいらして、私を撮りたいというので、私は『あ、ヌード?』と訊いたら、『尼さんのヌードはまだ撮ったことがない!』とびっくりしたのを覚えている」

 その言葉に荒木が呆れたように笑った。
「あの時に本気で撮っておいたらよかったね。若かったから。今は90歳のおばあさん」
「これからでしょう」荒木が強い口調で言った。「女として絶好調でしょう」
 日差しを測り荒木はカメラの絞りを上げた。応接間が華やかなのは寂聴の着る漆黒の法衣のせいかもしれない。
「今日は瀬戸内寂聴先生が晴天を運んできたのだ」
 荒木が言った。野坂が庭先を歩いたのもこの陽気のせいかもしれない。

「昨日は寒かったでしょう」寂聴が野坂に言った。「寂庵の紅葉も昨日散りました。今年は奇麗でした。野坂さんがもっとお元気になられたら京都にいらしてください」
「パパ、どこへ行くの?」夫人が寂聴の言葉を受けて言った。
「京都」
 間髪を置かずに野坂が答えた。そのやりとりを荒木が歓声と拍手で迎えた。まだまだ元気であることを正直に喜んでいる様子。個々に自分の体調を重ねているのだ。

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