絵:黒田征太郎

1939年生まれ。69年長友啓典と共同でK2を設立。イラストレーターとしてポスターや挿し絵で数々の賞を受賞するとともに、壁画制作、ライブペインティングなど幅広いアーティスト活動を展開。www.k-3.co.jp

文:新井敏記

1954年生まれ。85年「スイッチ」創刊、04年「コヨーテ」創刊。著書『人、旅に出る』(講談社)、『モンタナ急行の乗客』(新潮社)。近著として、『SWITCH STORIES 彼らがいた場所』(新潮文庫)、『鏡の荒野』『夏の水先案内人』(スイッチ・パブリッシング)

童話「月森の使者」

Essay vol.04

童話「月森の使者」

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 退屈で優雅な時間、例えばいつまでもここにいたいと思うほどのぜいたくな時間は月日においてそう何度もあるわけではない。
 神戸にて四月のある日。
 その日は朝から雨、六甲山の緑が濃く燃えるような香りが鼻先をくすぐるように香ってくる。知り合いの絵描き高濱浩子さんに誘われて神戸の六甲山の麓、八幡神社の西にある「月森」に行く。途中麓をあずかる八幡神社に参拝する。境内の枝葉を大きく広げる大銀杏の樹や、ハナミズキやヤマブキの白や黄色の花が足下で咲いているのを遠く近く見やる。高濱さんは銀杏に木肌に触れて「温かい」と笑う。銀杏ののびのびとした樹間の様子が好きだと。銀杏は周りの樹に比べていっそうの高さを誇るようにすくすくと伸びている。平日ということもあってお参りの人はまばらだ。
「童話の世界に遊ぶような......」
 微笑みながらも高濱さんは古くから知る「月森」をこう表現する。そして僕の反応を確かめるように顔を覗き込む。このグッと近づかれるのが苦手。この世界にあなたは遊ぶことができるのか、彼女に問いかけられるようだ。
「月森」は六甲山の麓の坂の途中にある小さな喫茶店の名前。「たっぷりと時間をかけて焼くホットケーキが美味しい」と、彼女は説明する。厚手のホットケーキは注文を受けてから生地を作るという。
「まず少なくて三十分、注文が重なるときは一時間以上かかるかもしれない」
 高濱さんに「我慢できる?」と問われる。
 一時間か。ホットケーキ一枚焼き上がるまで、何をするのか試されるようだ。本を読むか、僕はポストカード一枚したためる時間と思った。その時間のかけかたが面白く、ホットケーキが高価なデザートだったことがうれしくなる。
「『月森』ね、実は今日休みなのを開けていただいたんです」
「えっ? わざわざ」僕が聞き返す。
「火曜日が休みなんです」
「大丈夫?」
 彼女は首を小さく縦に振った。待つ事もそうだが、休みの日にお店を開けてくれた「月森」はもとより、高濱さんの配慮に感謝する。
「週に二日は休み、その一日の定休は火曜日、他は店主の気分で曜日が決まる」
 ホットケーキに時間をかけたり、気分で休みを決めたり、なんだか店主の自分勝手さが正しく思えてうれしくなる。店を訪れる客もその分、自由の裁量が必要になる。「待つ」ことは、夢見た旅への最初の切符のようだ。果たして僕はコーヒーを飲みながらホットケーキ一枚を待つ、ゆっくりとこの空間を楽しむことができるのだろうか。

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