再訪 野坂昭如 第8回「私が恐い?」

Essay vol.12

再訪 野坂昭如 第8回「私が恐い?」


 瀬戸内寂聴は隅の方でスケッチをしている黒田征太郎を見つけると、手招きして「ここに座って」と促すように言った。「何を描いているの?」少し離れるように座る黒田に「恐い?」と寂聴が訊ねる。「私そんなに恐くない、ねえ野坂さん......」
 野坂に毎日贈り続けているカードの話を僕が寂聴に披露すると、
「お好きなのね」と寂聴が微笑んだ。黒田はただ「はい」と小さく答えた。
「小僧みたいなものです」
「でもいいですね。人生で本当に好きな人が一人でもいるということは」寂聴が黒田に言った。「凄いと思う。なかなかいないです」
「野坂さんとお会いしていなかったら、違う生き方をしたように思います。金持ちにはなっていたかもしれない」そう言うと呆れたように黒田が微笑んだ。
「野坂さんを好きになる人だから、金持ちにはなれないね」寂聴が軽くいなした。
「『男は"地獄酒"を吞まないと駄目だ』と野坂さんに言われました。自分は野坂さんにどういう事ですか?と訊ねました。野坂さん曰く『銀座だ』と。以来銀座にお金を使いました。まだ地獄は味わっていません」
「野坂さんに教わったことで大事にしていることはなんですか?」寂聴が黒田に訊ねた。
「全部ですね」
「あなたゲイ?」
「いえ、離婚3回しています」
「あら、寂庵に来る男はだいたい離婚3回ぐらいしている。女の人が集まるとよく訊くの。『この中で離婚した人は?』そうすると大概皆手を挙げる。中には両手を挙げる人がいる。2回。小説家で離婚もしない人はなんだか信じないの、私は。そんなら小説家にならなくてもいい。まともな人は小説を書かない。まともじゃない人が小説を書く」
 寂聴の話は人を煙にまくように次々に話題が広がっていく。
「三島由紀夫さんのことを野坂さんはどう思っているのですか?」
 寂聴が野坂に訊ねた。「三島さんは太宰治のことを嫌っていたというけれど、本当に嫌いじゃないと思う。気になったんでしょうね。私がまだ小説家になっていない頃、家を飛び出して三鷹に住んでいたけれど、すぐ前が禅林寺という寺で太宰の墓があった。その前で作家の田中英光が自殺をした。その向かい側には森鴎外の墓がある。毎朝よく禅林寺に散歩していた。その頃に私は禅林寺の様子を書いて三島由紀夫にファンレターを出したんです。するとすぐに返事が来て『太宰は大嫌いだ、どうぞ毎日鴎外先生の墓にお参りして太宰の墓にお尻を向けてください』と書かれてあった。鴎外の墓はさっぱりして森林太郎と隷書体で墓碑に記されている。中村不折の筆跡でとてもいい字です」

retweet