再訪 野坂昭如 第3回「荒木経惟と黒田征太郎の想い」

Essay vol.07

再訪 野坂昭如 第3回「荒木経惟と黒田征太郎の想い」


 2011年12月10日の晴れた午後、永福町の野坂昭如邸に荒木経惟、黒田征太郎が向かった。
「今は温かいけれど、すぐに陰になって冷えてくるね。長くやってられない」
 荒木は黒田に声をかけた。晴れているが、少し風が吹いた時の肌寒さを気にしているのだ。黒田は軽く頷いた。アルコールを断っている荒木が、この日の朝まで下北沢で吞んでいた黒田の体力を「無謀」とあしらうように笑った。70歳を超えて生き残った者同士の軽い挨拶代わりのやりとり、時計を見ると12時を少し回っていた。
「野坂さんを男前に撮りたい」
「いいね、荒木」

 しばらくして、庭先に野坂昭如が夫人暘子と連れ立つと。二人は姿勢を正すように迎えた。やっとのこと暘子夫人の手を借りて、野坂は杖をつきながらたどたどしく歩いている。黒の皮のハーフコートをまとった野坂は黒い帽子を深くかぶり、サングラスをかけていた。
 車イスでの登場を予想していた荒木はその姿に野坂の意気を感じたのか、すぐに眼は爛々と輝き中判のカメラを構え、シャッターを切った。『ノアーレ』の衣装は白いスーツでダンディというイメージだったが、対照的な黒の出で立ちは夫人のセンス。
「野坂さんらしい」と荒木は独りごちた。「黒は段々影に近づいていく。旅立ちかな」

 5、6歩進むと、野坂はここでいいか、とばかりに立つ。背景に桜の樹を抱きその樹幹の影が広がって、体格も立派で颯爽と見えた。堂々と微動だにしない姿勢を取る。まずは庭で仁王立ちのように荒木に顔を向けた。「よし」と荒木がシャッターを切りながら声をかけていく。
「よし、いけてる、パッと。ステキ。エイ」
 擬音がシャッターの音となって野坂の気分をよくしている。
「ほんの少し後ろに。アゴを引きましょう。口を閉じない」
 普通の人を撮るように荒木は声をかけながら撮る。その容赦しない感じが今日の快晴と重なる。

「立てんじゃねえか」
 荒木は嬉しそうに呟く。「大丈夫でしょう。大丈夫。鼻の頭赤いのが、寒いからでしょう。気持ちと身体の動きが寄り添って」
 荒木は暘子にもっと傍らにいてと伝える。「演技でいいです」
 なぜこの辛辣な言葉が優しく響いていくのだろう。夫人が荒木なら今の野坂を撮って欲しいと言っていたことがこの優しさなのだろうか。遠く撮影の邪魔にならないように離れて黒田征太郎はその様子を一心不乱にスケッチしていく。
「天気でよかった」
 夫人が呟いた。

 洋風の建物に合う芝生の庭を囲んで様々な樹が植えられている。草花の芽吹きを通して夫人は季節を感じていくのだろうか、冬の椿の紅色の花が一人勝ちを誇るように日差しを受けて輝いている。
「すばらしい」
 荒木のかけ声が何度も飛んでいった。

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