絵:黒田征太郎

1939年生まれ。69年長友啓典と共同でK2を設立。イラストレーターとしてポスターや挿し絵で数々の賞を受賞するとともに、壁画制作、ライブペインティングなど幅広いアーティスト活動を展開。www.k-3.co.jp

文:新井敏記

1954年生まれ。85年「スイッチ」創刊、04年「コヨーテ」創刊。著書『人、旅に出る』(講談社)、『モンタナ急行の乗客』(新潮社)。近著として、『SWITCH STORIES 彼らがいた場所』(新潮文庫)、『鏡の荒野』『夏の水先案内人』(スイッチ・パブリッシング)

童話「月森の使者」

Essay vol.04

童話「月森の使者」

3
「ホットケーキをどのようにカットするのかで、その人の性格がわかるのです」
 高濱さんが揶揄するように言う。そう言われても、今更変わりようにないので、僕はいつものように一枚目をクロスして四枚に切っていく。果たしてこれで僕のホットケーキの切り方でどんな軌跡がわかるのだろうか。上からメイプルシロップを垂らしていく。そして沁み込んだ一枚をフォークで小さく割くように口に運ぶ。
「こんな考えて丁寧にカットしたのは初めてのことです」 
 僕が独り言にように呟く。
 河野さんは頷きながら、「メイプルシロップをたっぷりかけてくださいね」と声をかけてくれる。
 一口、食べる。気泡が大きくそれが中がふわふわで外がぱりっとした焼き上がりを確認する。甘い香りが口から広がって鼻先に抜けていく。添えられたメープルはクセのない甘さで、さらにたっぷりホットケーキにかけていく。樹液のせいでメイプルシロップは癖のあるものが多い。ホットケーキは待ったかいがある美味しさ、何か懐かしくてモダンさを感じる。甘くなった口にコーヒーを飲んで酸味で中和する。そしてまたホットケーキを口にする。
 河野さんがようやくコーヒー片手にテーブルに腰を下ろす。
「美味しいです」
 僕は言う。彼女は小さく頭をペコンとされる。そして柔らかな笑顔で僕の顔を見る。
「『月森』の名前は、宮澤賢治から?」先の質問を僕は繰り返す。
「いえ、違います」
「この辺りの地名?」
「それも違います」彼女は微笑んでくれた。まるでクイズショーだ。
「私は森という言葉が大好きなんです。で、森には月でしょう」
 河野さんはそう答えると小さく笑った。短い髪の毛がほんの笑うとほんの少し揺れた。
「その月はどんな月?」
「満月ではないですね。上弦の月で、あと少しで満月になる月、かな。でも三日月もいいですね」
 夜の森から見上げる完璧な月は絵に描いたようなホットケーキの形になるのだろう。僕は宮澤賢治の森と月をモチーフにした童話を空で数えた。するとまるで童話の世界にいるような心地よさが「月森」にはあることを感じていく。
「『月森』と宮澤賢治はなぜ繋がるのですか?」
 河野の質問に僕は「ただ...」と言い淀む。「音の響きだけかもしれない」そう言うと僕はコーヒーを一気に飲み干した。そう、「狼森と笊森、盗森 」に「月森」が繋がってもいいと一人ごちた。童話の主人公がふと彼女の笑顔に重なっていく。
「どうですか?」
「美味しいです」
「ありがとうございます」と、河野さんはうれしそうに頷いた。
 もくもくと食べる様子を彼女に見つめられた。
「本当に美味しい」
「お店は四年目を迎えました。なんだかお待たせしてご迷惑をおかけしているんです」
「大江健三郎が好きですか?」
 彼女は小さく頷いた。「特に『静かな生活』の女性が好きです」
「いいですね」僕は頷く。「いくつかの短篇は『スイッチ』に載ったものです。最後の短篇に僕が載っています」
 河野さんはびっくりした表情を浮かべた。
「でも、後で読んでください。けっしていい主人公ではないので」
 河野さんは僕の言い草がおかしかったのか、微笑んだ。
 ホットケーキの最後のひとかけらはゆっくりと口に入れた。少しバターが残った皿にメイプルシロップがついていた。なぜこんなに膨らむのか、薄力粉と砂糖が大切なのか、聞きたいことは次回のお楽しみにしようと思った。

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